
ファイナンシャルプランナー(CFP認定者)
J-FLEC認定アドバイザー
証券外務員一種
住宅ローンアドバイザー
日本FP協会和歌山支部 運営委員
和歌山県中小企業家同友会 会員
橋本市商工会議所 会員
堺市障害者相談支援ネット相談員
関西盲導犬協会 正会員
1985年3月15日生まれ。和歌山県出身。 橋本高等学校、桃山学院大学経済学部卒。 業界歴15年以上。大学卒業後、証券会社、外資系保険会社を経て保険や金融商品を扱わない第三者立場のファイナンシャルプランナーとして独立。
資産運用、相続、住宅ローンについて800件以上の相談実績がある。
上場企業(パナソニック、パナホーム、日本触媒など)、市区町村(和歌山市、橋本市、堺市など)、立命館大学、同志社女子大学などでの講師経験も多数。
また、障がい者の親亡き後対策について相談を受ける専門家としても活躍している。
【活動・実績】 「近代セールス」にてコラム執筆 日本FP協会セミナー「不安定な時代に備えるお金との付き合い方」 淀川区民センター「不安定な時代に備えるお金との付き合い方」 ombc松原インターネット放送局出演 学生向けセミナー企画開催「i-Mission」 堺市相談支援ネット 職員研修 橋本市保健所 「精神障害者を支えるお金のこと」 立命館大学・同志社女子大学 講師 など
【保有資格】 ファイナンシャル・プランナー(CFP認定者) 住宅ローンアドバイザー 証券外務員一種
【趣味】ゴルフ(月4回ほどラウンドに行っています)、読書
独立系ファイナンシャルプランナーになった理由
私が独立系ファイナンシャルプランナーになった理由としましては子供の頃のことが影響しています。
正確に言えば初めはファイナンシャルプランナーになりたかったというより、自分がお金の知識を知りたかったのが正直なところです。
というのも、小さい頃からいつも母親から「うちは他の家に比べてお金がないんやで!」という言葉を聞いていました。実際は別にお金がなかったわけではないのですが、おそらく母親は子供にあまり贅沢させるのはダメだと思っていたのでしょう。 しかし、いつもその言葉を聞いていたので私は子供心に「お金ってないとダメなんだ。」とそれとなく感じていました。
また、子供のころはサッカー三昧の日々を過ごしており、小学校、中学校、高校、大学とサッカーに夢中になる日々、そして、大学卒業後にはプロのサッカー選手になるため、自分でお金を貯め、中米にある国メキシコ、グアテマラへチャレンジ。ですが、プロ選手としてプレーしていた訳ではなかったので、サッカーを続けるにもやはりお金のことは常に意識をしていました。
ファイナンシャルプランナーを意識し始めたのは、メキシコ、グアテマラではプロにはなれず、日本に帰国してしばらくサッカーを続けていた24歳の時でした。
その頃周りは会社に就職していたり、学校の先生として働いている友人ばかりでした。その友人達と話をしていると今月の給料はいくらだとか、ボーナスはいくらといった話も出てきます。
その頃の私は昼間は派遣社員として工場で働きながら、夜はサッカーの練習に行くという生活で、職業や給料などお金に対してコンプレックスを持っていました。 そこで、サッカーをしているだけでなく、将来の為に何かしておこうと考えました。
その時、浮かんだのがファイナンシャルプランナーというお金に関してのアドバイスをする職業。子供のころからお金に関して、ひそかにコンプレックスを抱いていた私にはお金に関しての知識が得ることができるぴったりの職業でした。
そうしてファイナンシャルプランナーに興味を持ち、そして、いざ勉強してみると勉強する範囲は広く難しいことも多かったですが、為になる情報も多くありました。
初めは自分の知識習得の為でしたが、次第にこの知識はみんなも知っていればすごく為になるんじゃないかと思い、「こういった金融知識をもっと世の中に広めたい!」とファイナンシャルプランナーとして独立するという気持ちを持ち始めました。
それからはファイナンシャルプランナーの試験に合格し、様々な葛藤の末に長年続けたサッカーも辞めることに決め、就職を考えました。
そうするとやはりファイナンシャルプランナーの資格を生かしてお金に関する知識を提供していきたいという思いがありましたので、金融機関が就職先として興味がわきます。
その時ちょうどある証券会社の募集があり、面接を受けることに。すると、海外でのサッカー経験、ファイナンシャルプランナーの資格を持っていることが評価され、見事内定をもらいました。 そして、入社することに。
しかし、いざ入社してみると理想と現実のギャップがそこにはありました。
会社が重要視しているのはお客さんの利益ではなく会社の売上。入社してからは売上を上げる為だけの営業活動。
実はそこだけではなく他の金融機関でも同じようなことが行われている現実を知りました。入社早々に金融機関の在り方に疑問を持ってしまいます。
そこからは日々行っている仕事に疑問を抱きながらの営業活動。本心では金融知識、マネー教育の普及に力を入れたかったのですが、会社からはノルマを課される日々。モノを売ることが前提になっているので、本音の部分はなかなかお客さんには言えないので、かなり葛藤がありました。
そんな中にも相談を受ける中で「ありがとう。」という感謝の言葉をいただくこともあり、それだけが唯一の喜びだったと思います。
次第に金融知識を多くの人に伝え、生活に役立ててもらいたいという思いが強くなりましたが、正直言って、金融機関で働きながらそれを追求することができませんでした。
それだったら独立してお客様の生活への貢献と金融知識やマネー教育の普及を追求していこうと思い、ファイナンシャルプランナーとして独立する決心しました。
その後すぐに証券会社を辞め、保険会社を知るために外資系保険会社を経て、独立系ファイナンシャルプランナーとして開業。
そこからは、周りの方々に色々な機会を頂きながら、多くのお客様からの相談を受けることができるようにもなり、感謝される喜びを感じながらこの仕事を継続できております。
かなりの葛藤や自分自身に自信が無くなったことがあった証券会社時代でしたが、今では独立するきっかけをくれたその証券会社には感謝しております。
